観光協会の視察で伊豆に行ってきました

秦野市観光協会の先進観光地視察で伊豆市に行きました。

伊豆市吉奈温泉 「東府やResort & SpaーIzu」 で有名な パンを食べながら足湯を
画像


東府や 大正館芳泉(HPより)
大正時代からの悠久の時を感じる『大正館 芳泉 - TAISHOKAN HOSEN-』。
現代では造ることが難しいとされている手づくりの大正ガラスをはじめ、美しいステンドグラスなど趣のある、意匠が凝らされた空間をお愉しみいただけます。
画像

画像


ベーカリー&カフェ「足湯テラス」(HPより)
伊豆最古の温泉、吉奈温泉の足湯を愉しめるテラスを併設したベーカリー&カフェ。
吉奈の山々から流れ出る山水を湛えた美しい水盤を眺めながら、ホテルメイドのパンやコーヒー、スイーツなどをお愉しみください。
画像


画像


ヴィラスイート(HPより)
吉奈川沿いに新築された「ヴィラスイート」は、全室に温泉露天風呂を備えた離れのお部屋。目の前には自然に包み込まれるような景色が広がり、テラスに備えた露天風呂では、川のせせらぎを聴きながらいつでもお好きな時に温泉を愉しめる、贅沢な時間をお過ごしいただけます。
画像


大正時代の橋
画像


子持ち柿(10個に1個くらいの割合だそうです。珍しい)
画像

画像


東府やResort & SpaーIzu  正面玄関
画像


2つの旅館があったのをまとめたそうでかなり広く、宿泊しなくても古い建物や足湯でカフェ、散策路などあり1日中遊べそうです。日帰り温泉&食事のプランもあります。


次は天城湯ヶ島温泉
「旅館 落合楼 村上」(HPより)
明治時代
この地区で金を採掘していた足立三敏氏は、この湯ヶ島の本谷川と猫越川が合流して狩野川となる地点に金山の事務所を構えていました。事務所には、東京などから色々な関係者がこの地に足を運びでいました。都会から遠く離れ、交通手段が発達していない時代にあっては、旅の疲れを癒すために温泉に浸かり、ついでに、大自然のなかで都会の猥雑を洗い流すために、長逗留するお客もいたようです。
明治七年(1874年)、その旅館は完成して「眠雲楼」と名づけられました。
深山幽谷に忽然と出現した都会の洗練が人を呼び、眠雲楼は人から人へと口伝えによって静かなブームを呼び、多くの文人墨客が集まる旅館になりました。幕末に、江戸城明け渡しに際して、西郷隆盛と交渉した旧幕臣の山岡鉄舟も、その一人です。維新後は明治天皇の側近になり、禅を学び、書をよくしていた山岡は、この山深い温泉旅館をこよなく愛していたようです。
山岡鉄舟が逗留していたある日のこと、旅館のそばを流れる川を眺めていた時、左手から本谷川が流れ、右手から猫越川が流れて目の前で合流し、落ち合っていることを発見して、旅館の名前を「落合楼」にしてはどうかと、旅館の主人にアイデアを提案しました。主人はその提案をすぐに飛びつき、明治十四年、眠雲楼は、その名を現在の「落合楼」に改名したのです。その後、明治時代には、田山花袋、島崎藤村、蒲原有明、竹林夢想庵、木下杢太郎等、名高い文人墨客が訪れるようになり、落合楼で滞在していた時に残した息づかいが作品の中に込められ今もその趣を伝えています。
大正時代
大正に入ると、川端康成が頻繁に湯ヶ島に訪れるようになりました。 「伊豆の踊子」の着想に、落合楼は深く関係していました。 昼間に落合楼の部屋を借りて、伊豆の踊子の執筆をしていたと云われております
ちょうどこの頃、梶井基次郎も湯ヶ島に滞在していて、落合楼に泊まっていました。昭和三年発表の「蒼穹」は、落合楼付近を舞台にした作品であります。
その他にも淀野隆三、尾崎士郎、宇野千代、広津和郎、萩原朔太郎などの多くの作家や芸術家が落合楼に滞在しました。さらに映画ロケも盛んに行われ、大正時代から昭和元年にかけて、島津保次郎が「山募るる」「水車小屋」など、四本の映画ロケのため長期滞在している。
そのときは、女優の梅村蓉子や三村千代子らも落合楼に宿泊し、玄関前で熱演していました。また、現在も当館の敷地で数々の映画やドラマでロケ地として利用されております。
昭和時代
昭和になってからも多くの文人墨客が訪れました。狩野川の周辺を四方から囲む山々には、山桜がびっしりと生い茂り、春になると白い花びらの絨毯が旅人の目を奪いました。そうした湯ヶ島を愛してやまなかった若山牧水は、山桜を題材にして沢山の歌を歌っています。
そうしたお客を迎い入れるため、落合楼が大改築されたのは昭和八年のことです。まず、玄関棟と本館が建築されました。本館につづいて眠雲亭、紫檀宴会場、およびそれらをつなぐ配膳室階段棟などが次々に建築されました。これらの建築物は国の指定文化財になりました。お客様が宿泊する各部屋や宴会場、果ては階段に至るまで個別に文化財に指定されている旅館は、とても貴重な存在となりました。自然をいかにして建物のなかに取り込むか、その工夫の跡が随所に見受けられます。
本館が完成して間もなくやってきたお客が、北原白秋です。昭和十年一月に二十日間ほど滞在して歌作に専念されました。 白秋が長逗留したのは、当時の落合楼の経営者と親交があったからと云われております。
平成時代
平成14年11月、落合楼は現在の「落合楼村上」として再スタートしました。経営を引き継いだときは、建物の壁、天井、柱、廊下、ステンドガラス、庭園などは手入れが行き届かず、折角の文化財が輝きを失っていました。
このため、従業員皆でまずは建物を磨くことから始めました。落合楼の伝統を磨き上げさらに発展させるためです。現在、落合楼は、ありし日の輝きを取り戻しつつあります。女流陶芸家の草分け辻輝子女史をはじめ多くの作詞家や作曲家が集まるようになりました。

建物のほとんどが国の有形文化財として指定されている。
正面玄関ももちろん
画像

玄関を入ると
画像

古いガラス越しの中庭
画像

オーナーの村上さんより説明が
画像


欄間の蜘蛛と蜘蛛の巣(蜘蛛は虫を取るから縁起が良いとされているそうです)
左右非対称で、蜘蛛の巣が円でできているのと螺旋でできている違い・・・良く分からなかった
画像


富士山と投網を吊るしている絵でできている。金運アップの絵だそうです。
画像


大正時代のガラス戸
画像


紫檀の床柱を説明する村上氏
画像

画像


金山が最盛期を迎えていた昭和の初めに大改築された建物は、贅の限りと匠の技が各所にみられ、そこに宿泊できる素晴らしさ、しかし自分には不向きと云うか財政的に見学するので精いっぱいです。
しかし、こんなこともやっているそうです。
画像

落合楼ボランツーリズム(奉仕活動の体験)
   掃除をするから宿泊費は無料(食事つき)。 体験したいと思った。


最後が「伊豆市若者交流施設9izu」(クイズ)
 高校生や大学生を中心として活動する拠点で、清掃活動から出発して各種多方面で活躍中。
説明の中での要点
画像


地域 × クラウドファンディング「FAAVO」とは?(HPより)
「FAAVO」は地域・地方に特化したクラウドファンディングのプラットフォームです。最大の特徴は、「FAAVO宮崎」「FAAVO新潟」など、各地域のプロジェクトを専門にあつかうクラウドファンディングのサイトを、地域ごとに運営している点です。
クラウドファンディングとは、インターネット上で不特定多数の人から資金を調達できる新しい仕組みで、クリエイターやアーティストだけでなく、企業、NPO、行政でも利用が広がっています。
FAAVOはクラウドファンディングの中でも「地域・地方」に特化しており、故郷を離れて暮らす人が出身地の活性化のために、支援金を出資できる「民間版・ふるさと納税」のような仕組みを目指しています。

JKのプランニング状況
画像


魅力ある地域コミュニティを形成するためには
画像


各地で地域活性化を支援する 飯倉清太さんの説明で、若者を中心とした地域活性化の講演でした。
一日バスに揺られ最後の時間の講演で、疲れで時折眠気が襲ってきましたが、斬新なアイデアでの活性化対策を聞き、明日の蓑毛の活性化に取り組む新しい考え方が出来た気がした。


温泉で賑わいを見せている伊豆市でも、更なる活性化に向けての取り組みをいろいろ見たり聞いたりできた。
百聞は一見に如かず。

伊豆市
2004年の4月1日に、伊豆半島中北部の4町、田方郡修善寺町・土肥町・天城湯ヶ島町・中伊豆町が合併し伊豆市が発足した。
伊豆市は県の面積の4.1%を占め、現在、浜松市・静岡市・川根本町に次いで4番目に広い基礎自治体である。このように広大な面積を有しているが、深山な伊豆半島に位置するため、市域の67%は山林で占められており、可住地面積は17.3%程で[1]、人家の多くは狩野川とその支流の脇のわずかな平地に集まる。温泉と自然環境を主軸とした観光地を有している。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック