北海道 研修視察の旅

8日から北海道の豊頃町で開催される「第21回報徳サミット」に参加することと、林業の先進都市の視察研修があり参加しました。

8日は北海道に大型の台風が接近する日であり、何もこんな日に限ってと思いつつ天気予報とにらめっこ。
羽田に着いた時にはとかち帯広空港への飛行機は全て欠航。
ようやく旭川空港への便が取れ、台風の真っただ中に飛び込んだ。
案の定、着陸時の揺れること、もう引き返してとの悲鳴が聞こえる中の着陸、ワッと歓声が上がるほどでした。
自分はというと、元々飛行機はあまり好きではなく素知らぬ顔で必死にこらえており、声も出ない状態。

当然のことながら写真を撮ることもできず、空港から宿の十勝川温泉までは暗闇の中の3時間半、お腹を空かしてのバス旅。

翌日は曇りと晴れの風が強い天気
十勝川温泉の宿から  十勝川にかかる橋 十勝中央大橋
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カエデ
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足寄のカラマツを使った庁舎とペレットの見学
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梁などはカラマツの集成材
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什器などもなるべく唐松を使っているそうです
町営のカラマツ林の40年から50年の木を伐りだし、町内の製材所などで加工し建築した建物で、すべて町内で調達している点が特筆された。(町内リサイクル)

ペレット工場に行くまでの風景  
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カラマツの置き場と周りの風景
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研修中
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1)足寄町の特徴(足寄町バイオマスタウン構想報告書より)
①足寄町は広い
足寄町は、町村の中では日本一広い。これは都道府県の中で最も面積が小さい香川県(1,876 km2)の75%に相当する。足寄町の形は单に弧を描く弓形をしており、東西約70km、单北約50km である。東の端から西の端まで車で走ると2時間もかかると、町民でさえ驚く。その面積は 1,408 km2 に及び、ここに7,700人余りの人が暮らすが、人口密度は5.52 人/ km2 と小さい。これは裏を返せば、町全域がバイオマスによって埋め尽くされているといっても遍言ではない。
②足寄町には山林が多い
足寄町には森林がたくさんある。全町面積の約85%が林野である。しかし、本州の急峻な山岳地帯に比べればなだらかな丘陵地帯が多い。三方の山奥からはきれいな水が湧き出し、3 本の川となって流れ、町の中心部で1つになり、やがて十勝川に合わさり、そして太平洋に注ぐ。かつては鮭も遡ってきた清い流れであるが、豊かな水量を誇ることから発電や灌漑用のダムが造られ、暮らしや産業を支えている。
③足寄は明るく寒い
足寄町の気候の話である。晴れの日が多い。日照時間は年間2,000 時間を超える。したがって、草木や作物がよく育つ。すなわちバイオマスがよく増える。平均すれば冷涼な気候であるが、内陸にあるため、日較差、年較差が大きい。夏の最高気温は30℃を超え、冬の最低気温は氷点下20℃を下回る。北に隣接する陸別町は日本一寒い町として知られている。この寒暖の差が、美味しい農作物や美しい紅葉、優しくもたくましい人を育んでいる。
④足寄には大地がある
松山千春が謳うとおり、足寄には広大な大地が拡がる。地平線まで畑が拡がり、たくさんの牛たちが草をはむ。小麦や馬鈴薯、甜菜、豆類と色とりどりの畑が広がる。大陸的な景観である。大きな空の下、大きな畑を大きなトラクターが行き来する。道ばたには蕗が生えている。これがまた日本一大きい。星空の大きさは言わずもがなである。こんな足寄町が、バイオマスタウンの大きな夢を描こうと思う。

足寄町産カラマツ材でまちおこし(公共木造建築物)
 町の面積の83%に相当する16,000ヘクタールの豊富な森林資源を利用し、役場庁舎をはじめ小中学校、観光施設など数多くの公共建築物を木構造で建設。森林資源を活用した町おこしを進めています。また、足寄町産カラマツは町内の建築物だけでなく、わが国最大の木造スーパーであるコープさっぽろ宮の沢店(平成22年10月竣工)、知床世界自然遺産センター(平成21年3月竣工)など道内各地で多数の建築物に利用され、構造用集成材の原料として建築業界や施工主から高い評価を得ています。

足寄といえば 松山千春ですが、全く係らない今回・・・

視察の後は阿寒湖で昼食 約1時間半の紅葉ドライブ
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雌阿寒岳
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阿寒湖
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阿寒湖の紅葉

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橙色
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黄色
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アイヌの民俗学習  
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車窓よりの北海道の雄大な風景・・・・・観光が目的でないためバスが止まらない、車窓からわずかなチャンスをとらえる
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池田町のワイン工場見学 ワイン用ブドウ畑
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ここからの夕景
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今日の宿も十勝川温泉  部屋につくと見慣れた風景
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昨日の宿とは隣同士の宿  でもなぜか温泉が微妙に違う


翌日は 豊頃町に
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1 開催趣旨
 今日の社会情勢を見ると、高度情報化、グローバル化が進展し、価値観の多様化や少子高齢化社会の進行、産業・就業構造の変化などから地域コミュニティの衰退が進行するなど様々な課題を抱えています。
このような状況において、二宮尊徳翁が多くの荒廃した農村を救済するために実践した「至誠」「勤労」「分度」「推譲」の報徳仕法と、艱難辛苦の生活を通して生きる夢と希望を与えた尊徳翁の歩んだ道を辿ることは、未来を担う者たちに貴重なヒントを与え、未来を拓くひとづくり、まちづくりをしていく活力へとつながります。
そして、いまだ傷跡を残す東日本大震災の被災地では、復興への懸命な取り組みが続いており、報徳のおしえを学ぶ私たちにとって、被災地の復興を支援することは報徳仕法を実践する上で極めて重要なことであります。
豊頃町は二宮尊徳の嫡孫である二宮尊親が入植し、報徳のおしえの実践によって本町開拓の礎を築いたことから、このおしえを受け継ぐことを誇りとしています。
そうした豊頃町に二宮尊徳にゆかりの市町村が一堂に集い、報徳仕法の検証を通してこれからのまちづくりに必要な取り組みを学びあうため、第21回全国報徳サミット豊頃町大会をここに開催いたします。

(1)豊頃町開拓の祖 二宮尊親
興復社二宮農場の創設者二宮尊親は、二宮尊徳の孫として、安政2年11月16日、現在の栃木県今市市に誕生。明治29年興復社再建のために北海道開拓を決意し、社員等4名とともに渡道。明治30年牛首別興復社の設立認可を受け、3月3日第一期移住民15戸を引率し、4月8日牛首別原野に到着。この年郷里から家族を呼び寄せ、茂岩に居住することとなった。以来明治31年第二期入植者23戸、明治32年第三期入植者14戸、明治33年51戸、明治34年14戸と続いて入植し、尊親自ら陣頭に立って寝食を忘れて指導に当たった。明治40年入植以来10年にして開拓の方向も定まり、各農家も経営の安定を見るに至ったので、福島県中村に転住。その後は年に数回実情の把握および指導のため現地入りしたのである。
この間、十勝にあっては農会長、学事会員、その他の公職に推され、依田勉三、関寛斎らが尊親を訪れたこともあった。郷里に帰った後も、尊徳遺稿一万冊の整理、「二宮尊徳遺稿」の編集著作に専心する傍ら、農業関係、金融関係、教育関係の公職及び実務に当たり、現西宮市報徳学園の二代目校長などを務め、大正11年11月東京において68歳で病死した。

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充実したサミットに参加した後帰途につく
帯広平野
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丹頂がいた(丹頂とはツルのことであり、丹頂ツルとは言わないそうです)しかしバスは止まらない
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どこまで行っても畑畑  広大な畑です
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飛行機からの帯広平野
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襟裳岬が霞んで
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帰りの飛行機も気流の関係かかなり揺れた。どうも飛行機は好きになれない


1日目は台風の中の飛行と暗闇の中のバス旅
2日目は充実した視察研修
3日目は会場が狭いながらも「身の丈に合った」報徳サミット

初日を含めなかなか経験できない旅でした。
幹事さんに感謝します。


豊頃町

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