御師の里 蓑毛で   (徒然なる いもこじ日記) 

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zoom RSS 飛騨高山へ  白川郷から高山

<<   作成日時 : 2015/10/19 17:39   >>

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白川郷にはどぶろくまつりの前日到着。昨年は初日に行ったが雨のため人や車が少なかった。
どぶろく祭になると駐車場待ちの車で道路が大混雑(2〜3時間待ち)になるそうで、それを避けて前日に来ました。
今年は雨は降っていなかったものの、準備をする人たちや観光の人たちで平日にもかかわらず大勢の人がいました。

さすがは世界遺産だなー

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紅葉もチラホラ
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この佇まいが好きです
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カカシと合掌造り
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明善寺の庫裏(上)  下の写真の最奥が本堂手前が庫裏
明善寺(白川村HPより)
 文化財の庫裡(くり)、鐘楼門、本堂、イチイの木によって知られる由緒あるお寺。真宗本覚寺より分派した門信徒により1748年に創建されました
概要
明善寺庫裡
 江戸時代末(1817年頃)に、高山の大工副棟梁与四郎によって建てられました。客間である「でい」が「口のでい」「奥のでい」と3室に分かれており、南側と表側の一部が庭に面して回廊になっているのが大きな特徴です。
 階上は郷土の民具などの資料が展示された「明善寺郷土館」として公開されています。
明善寺本堂
 正面(西)及び南、北に縁があり、南側奥が花立部屋、北側は半鐘部屋、東奥側には後堂、中央部は2間で手前に外陣、その奥に一段高くして内陣があります。向拝の龍頭の彫刻などに細工師のすぐれた技術をうかがうことができます。

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和田家の合掌造り
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和田家(ウィキペディアより)
和田家は1573年(天正元年)よりつづく家柄で、当主は代々「弥右衛門」を名乗った。江戸時代には牛首口留番所役人や庄屋を務め、苗字帯刀を許された。また火薬の原料である塩硝(焔硝)の取引で繁栄した。和田家住宅の建築時代は諸説あるが、文化庁によると江戸時代末期であるという。 往時には20人以上の人が住んでいたという。それは山がちで土地が狭かったこの地では、次男三男が分家することが難しく、結果的に長男一家を中心とした大家族となったのである。またこのような理由から、家屋の規模も大型となった。和田家住宅は1995年(平成7年)12月26日に主屋、土蔵、便所ならびに土地が国の重要文化財に指定された。現在も住居として使われているが、内部の見学が可能である。

紅葉と合掌造り
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合掌造りの萩町を見下ろす展望台より(萩町城址)
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花が目立ち過ぎたのでもう一枚
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望遠でさらに
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山が良く見えるとこのような展望が
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翌日は高山市内観光
国分寺の三重塔
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三重塔(国分寺HPより)
 天平の大塔の後、斉衡元年(平安初)五重塔を再建したと伝え、近世初頭、国主金森公は当寺を再興し、元和元年五重塔を建立した。この塔は天和年中に三重に減じたが、寛政三年の烈風で吹倒された。その後、文政4年現在の三重の塔が完成した。走高74尺露盤の大きさ方4尺、工費金800両、大工500人を要した。屋根は柿萱であったが、大正11年塚越斧太郎居士の寄進で銅萱に改めた。白木造りの雄姿は山都高山の風物詩である。
本尊に大日如来を安置し、心柱には仏舎利を納めている。

大イチョウと共に
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大イチョウ(同上)
奈良時代、聖武天皇の詔によって飛騨国分寺が建てられた際、このイチョウの木が植えられた。 2013年現在、飛騨国分寺の建物は全て火災によって後に建て替えられたものであるが、この大イチョウのみは国分寺の建設された時から残っているため、樹齢は2013年現在推定1250年と思われる

朝市と三之町を散策後高山陣屋に
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陣屋横のレストラン?のモニュメント
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次は飛騨高山まつりの森に  高山祭の山車が飾ってあり、カラクリも見せてくれる
入り口のコキア  いい色になっていました
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その上にある展望がききそうな飛騨世界生活文化センターに   広場から高山市内
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文化センターの広場から乗鞍岳が見えた
  建物と建物を繋ぐ通路にこのようなアーチの仕掛けが
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積雪の乗鞍岳
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穂高の山並みか?
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次は飛騨民俗村飛騨の里に
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池周りの紅葉が綺麗
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紅葉ばかりで肝心の民家は?
飛騨民俗村飛騨の里(ウィキペディアより)
 敷地内には、飛騨地方の民家の建物約30棟(国の重要文化財4棟、県重要文化財7棟)が移築保存されている他、養蚕、林業といった貴重な民具が保管されている。収集品の飛騨の山村用具と飛騨のそりコレクションは、国の重要有形民俗文化財に指定されている。


車田から旧八月一日(ほづみ)家
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車田
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車田から旧西岡家
旧西岡家 - 県重要文化財(ウィキペディアより)
 大野郡白川村加須良村(現・大野郡白川村)。江戸時代後期の切妻造、茅葺。元は蓮受寺の庫裏であった
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旧田口家 - 国の重要文化財(ウィキペディアより)
 益田郡東村卯の原(後の益田郡金山町、現・下呂市)。文化5年(1808年)建築の切妻造。建築当時は榑葺だったが、現在はは鉄板葺である。
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旧八月一日(ほづみ)家 - 市指定重要文化財(ウィキペディアより)
 大野郡白川郷三尾河村(後の大野郡荘川村、現・高山市)。江戸時代末期、入母屋造、茅葺。西願寺の庫裏であった。
 旧暦の八月一日は新暦の九月十日頃に当たります。飛騨地方では、この頃になると粟・稗などの穂が実り収穫したことから、八月一日と書いて「ほづみ」と呼んでいたのです。
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旧前田家 - 県重要文化財(ウィキペディアより)
 吉城郡高原郷神坂村(後の吉城郡上宝村。現・高山市)。明治32年(1899年)建築。切妻造、板葺石置屋根、二階建。
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旧富田家 - 県重要文化財(ウィキペディアより)
 吉城郡高原郷杉山村(後の吉城郡神岡町、現・飛騨市)江戸時代末期の入母屋造、茅葺。問屋として使用された。
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旧吉真家(下)と旧道上家
旧吉真家 - 国の重要文化財(ウィキペディアより)
 旧所在地は吉城郡小鷹狩郷角川(後の吉城郡河合村、現・飛騨市)。江戸時代中期の入母屋造、茅葺。旧田口家 - 国の重要文化財
旧道上家 - 県重要文化財
 旧所在地は吉城郡小島郷加賀沢村(後の吉城郡宮川村、現・飛騨市)。江戸時代末期、入母屋造、茅葺。
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最後に池(五阿弥池)に戻って紅葉を
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ここからも北アルプスの山が見えた
笠ヶ岳?
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槍ヶ岳と手前が穂高連峰(吊尾根が良く見える)
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最終日は飛騨古川
用水路と白壁で有名な観光地となっている   大きな鯉が沢山泳いでいた
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立派で大きなお寺  説明板など一切無い寺
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和ろうそくのお店
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古川まつりの太鼓  お前トウチャコか???  皆さんの願いを込めて太鼓打ち3回
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群がる鯉
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国宝の経蔵  安国寺(飛騨高山応援団 情報BOXより)
国府町西門前にある安国寺は、1357年に建てられたお寺で、、当時は七堂伽藍を(がらん)を持ち門前町が栄えた古刹(こさつ)。
NHKの大晦日の「行く年来る年」に2回登場している。見所は、国宝指定の経蔵(きょうぞう)と右の彫刻のほどこされた八角形の輪蔵。こまのように回る輪蔵には、一切経の経典が収められていて、それを軽く回しながらお経を唱えれば全編読破の効用が・・・・・
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この安国寺には数十年前に来たことがある。しかし経蔵に中の輪蔵を見るまではわからなかった。
中に入って輪蔵を見て思いだした(遅すぎ




この3日間天気に恵まれ遠くうっすら雪をかぶった北アルプスの山などが見え最高の時間を過ごしました。


また行きたーーーーーい









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