伊豆 修善寺・城山  No,1

いつものメンバーで温泉と山登りに行きました。
初日は天気が悪く、予定していた大仁温泉近くの城山に登ることを翌日にし、急きょ修善寺に行くことにしました。


すぐ隣は有名な「虹の里」(入場料:1,200円・駐車料金込み) 8人だと・・・・・ 無理無理!!

修善寺のもみじ林(入場料:なし・駐車料金のみ)

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修善寺自然公園 もみじ林(Walkar紅葉名所より)
密集した紅葉の木々が頭上を彩る1万平方メートルの敷地に約1000本の紅葉群生林がある修善寺自然公園。晴れた日には鮮やかに染まるカエデと、富士山を見ることができる。見頃の時期には、赤から黄色まで微妙に色合いを変えながら頭上を彩る紅葉が見られる。11月中旬から12月上旬の自然公園もみじまつり期間中は、地場産品を販売する露店が出店する。

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小雨模様で霧が少し出る条件で、晴れないかなー  と思っている。
 後で写真好きな人に聞いたら、それは絶好の機会で なかなかそんなチャンスに恵まれないとのこと。
 でも、写真技術がなー

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晴れていれば富士山が見えるとか  しかし看板がキタねー
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松の葉が落ちてモミジの枝に吊り下がっている、ちょっと面白い光景。
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次は修善寺に  修善寺の温泉街をゆっくり歩いた記憶が無い。初めてかな???
赤い欄干は温泉街の風情がいっぱい
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修善寺(ウィキペディアより)
温泉街:温泉街の中心に修善寺川(通称:桂川)が流れ、河岸には温泉宿や飲食店が建ち並ぶ。川中の四阿には、同温泉地のシンボル的存在の独鈷の湯があり、無料で足湯を楽しめる。至近には地名の由来となった修禅寺があり、多くの観光客が訪れる。この寺では毎年8月20・21日に秋季弘法大師大祭が催され、屋台や打ち上げ花火が催される。また、遊歩道が整備され「竹林の小径」などが人気のスポットとなっている。
温泉街付近には源氏に関する史跡が多く、鎌倉幕府第2代将軍、源頼家の墓や、頼家の冥福を祈って母である北条政子が建てた指月殿などが残る。

修善寺(ウィキペディアより)
寺の歴史:807年(大同2年)に空海が創建したと伝えられ、その後の約470年間は真言宗に属していた。当時は周辺の地名が桂谷であったことから、桂谷山寺と言われ、『延喜式』には「伊豆国禅院一千束」と書かれる程の寺院であった。その後、鎌倉時代初期に修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになった。また、源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が当寺に幽閉され、その後この地で殺害されたとしても知られている。建長年間(1249年 - 1255年)に元の密偵と疑われていた蘭渓道隆が避難のために来住し、それに伴って臨済宗に改宗された。蘭渓道隆は、南宋の理宗から「大宋勅賜大東福地肖盧山修禅寺」という額を賜り、大陸にまで修禅寺の名を広めた。しかし、この寺額は1863年(文久3年)の火災で焼失した。
その後、1361年康安(元年)の畠山国清と足利基氏の戦乱の被害を受け、更に1409年(応永9年)の大火災で伽藍が全焼し、荒廃した。その後、伊豆一国を収めた伊勢新九郎長氏(北条早雲)が、彼の叔父の隆渓繁紹に曹洞宗の寺院として再興させた。現在の本堂は1883年(明治16年)に再建したものである。2007年(平成19年)には開創1200年祭が行われた。
夏目漱石の「修善寺の大患」、岡本綺堂の「修禅寺物語」でも名高い

先ずはお寺から
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温泉街に  独鈷の湯
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竹林と紅葉
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良い写真ですね
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最後に
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修善寺をこんなにゆっくりと見て歩くのは初めて、紅葉もちょうどよく天気の悪さからあまり人はいなく、最高でした。

明日は大仁の近くの城山に
狩野川沿いから急な岩壁が直立しておりとても登れそうな山ではないように見えます。
ロッククライミングでは有名なところのようです。
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No,2に続きます。後日アップ予定。

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